佐藤垢石

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 葵原夫人は、素晴らしい意気込みである。頬に紅潮が漂って来た。
「では、いけませんか?」
 と、念を押す。
「いけない、と言うことはありませんが、一体に婦人は舟に弱いものですからね」
「いえ、それでしたら御心配いりませんわ。私、もう五、六年も毎年葵原と一緒にヨットの練習をやっているんですもの――一度だって、眩ったこと御座いませんの――」
「それなら、いいですが」
「昨年の夏は、品川から三崎まで遠乗りしましたわ。ちゃんと、度胸が据わってます」
「大したものですな――しかし、葵原君が同意するかどうか?」
「ところがですわ、今朝お前がやって見たいと言うなら、行ってお願いして見なさい、と言って葵原の方から私に勧めたような訳で御座いますわ」
「そうでしたら、構いませんが……」

 青鱚釣は例年八十八夜即ち五月上旬には釣れはじまる。江戸前三枚洲、ガン場、中川尻、出洲など大そうな賑わいである。また千葉方面では浦安、船橋なども人出が多く最近は周西方面まで遠征する人もあり、西海岸では立会川、鈴ヶ森、品川、羽田、川崎方面からも舟出する。
 この魚は餌に対する振舞になかなか微妙なところがあり、鈎に掛ってから引きが強いので昔から大層な人気がある。少し臭みはあるが味はなかなかよく珍重される。黎明の頃から釣るならわしになっているが、これは朝の海は静かで釣りいいからで午前三時には河岸払いをする。即ち舟を出すのである。であるから釣客は大抵前晩に船宿へつめかけていて少しの間眠り、やがて舟の用意が出来ると竿を携えて乗り、舟の中で朝飯を食う。これがなかなかおいしいものである。釣場へつくと船が適当の場所を選定して脚立を立てて呉れるからそれに乗換えて釣りはじめるのであるが、潮通しのよろしい場所でないとよく釣れない。であるからこの釣にはよく当り外れが伴い上手な人でも一尾も釣れない場合がある。釣れると例の長いビクを脚立から海へたれ下げるが釣れない内はビクを下してはいけない。これは遠くから船頭が見て釣れたか釣れないかの見分けとするためである。

 秋がくると食べものがおいしい。私のように冬でも夏でも年中川や海へ釣の旅をして、鮮しい魚を嗜んでいるものでも、秋がくると特に魚漿にうま味が出てくるのを感ずるのである。
 殊に、今年の立秋からの鮎はおいしかったように思う。一体今年位鮎の育ちの遅れていた年はなかった。例年ならば、土用あけには肥育ちの絶頂に達し、丈も伸び肉も円みもついて八月中旬過ぎには腹に片子を持つのであるが、今年は土用があけても稚鮎の姿をしていた。随って、腹に片子を持っている鮎も、まれであった。
 陽気も一体に遅れているように感ずる。いつもの年には、秋が立つと日中は暑いけれど、朝夕には爽やかな北の風が忍び吹いて肌に清涼を覚えるのであるが、空の雲にも気の動きにも初秋らしいものを感じなかった。ただ、暑い暑いといって喘いでいたのである。旧盆が八月下旬にきた位であるから、陽気が遅れているのが当り前であったであろう。
 鮎も陽気と共に、育ちが遅れていた。私は秋が立つと、上越国境を越えて新潟県の魚野川へ鮎を求めて友釣の旅に出た。それは、八月の十日ごろであった。恙虫がいるので有名な浦佐町の地先で釣ったのだけれど、最初のうちは鮎の姿の小さいのに驚いたのである。そして、十日ばかり釣り続けているうち、鮎は次第に育ってきたが腹の生殖腺がさっぱり発達してこなかった。つまり腹の中に粒子も白子も見えはじめないのである。